右の頬を打たれたら左も差し出しなさい ハムラビ法典を超えた先にあるもの - 貴方を幸福にするFXブログ

右の頬を打たれたら左も差し出しなさい ハムラビ法典を超えた先にあるもの

殺人象
気持ちはわかるが、やりすぎだ。

ブログ内ではエセ聖人気取りのエセ賢者ですが、本人は非常に怒りの沸点が低く、根に持ちやすい性格だったりします。
邪険にされたら怒るし、投資で損失が出れば業者を恨みます。
私をエセ扱いする奴は許さないし、猫を苛める奴は末代まで祟る。

目の前に安倍や黒田がいたら、確実にブン殴っているでしょう。
ジョージ・ソロスがいたら、マシンガンでもぶっ放しているでしょう。
明らかに過剰防衛なのですが、実際にそうなのだから仕方がない。

「目を抉られたら、相手の目も抉り返せ」
「歯を折られたら、相手のも折り返せ」


まるでハムラビ法典のように、エセ賢者の本能が叫ぶのです。
その想いは紛れもない私の本心であり、自己の保身よりもずっと優先されています。

一度被害を受ければ、何十年立っても恨みは消えません。
自分を傷付けた相手が消滅するまで、復讐は終わらないのです。
戦うドナルド

エセ賢者は、復讐心が無駄だとは思いません。
強い感情には、それなりの意味があると思っています。
特に最強の本能である憎悪は、感情の中でも重要度が高いはずです。

憎悪の役割とは、自身に不利な環境を変えること。
頻繁に傷つく環境を放置すれば、いずれ動物は死んでしまいます。
だからある程度被害を受けた時点で復讐心が働き、原因を取り除こうとします。
憎しみは、個体が生き延びる為になくてはならない感情なのです。

憎悪の力は、実に強大なものです。
憎めば憎む程アドレナリンが分泌され、凄い怪力と集中力を発揮するようになります。
どんな非力な人でもリミッターが外れれば、怪物になりえるのです。

本来であればその力を使って環境を改善し、住み良い世界を作るはずなのですが、実際に憎しみに囚われた人々で安息を手に入れた人は殆どいません。
だいたいは大きな揉め事を起こして、刑務所か棺桶のどちらかに入ってしまいます。
人を生かす為の本能なのに、全く逆のことをしているわけです。

どうして人の為にある感情が、人の為にならないのか?

それはただ単に時代が変わって、動物の本能が役立たない社会になったからなのかもしれません。
仇討ちや決闘が許可されていた昔と違い、現代は個人による他者の排除が認められていませんから。
未だ太古の遺伝子に縛られている我々の心は、今の世界には不必要な存在なのかもしれません。

けれど、一方ではこうも思うのです。
これは一つの試練なのではないか、と。

憎悪の力は強大で、余程精神修行を積んだ人であっても抗いがたい
けれど、だからこそ乗り越える意味があるのではないかと。

「右の頬を打たれたら、左も差し出しなさい」
これはマタイの福音書に記載されている、イエス・キリストの有名な教えです。

「殴られたのにさらに殴られろ」
とは、たいしたマゾっぷりです。
さらに上着を取られたら、下着も差し出せと言っています。
イエスは露出狂の気もあったのか?

この言葉の解釈は色々あります。
・仕返しは復讐の連鎖を生むだけなので、やめておこう
・悪を悪で返すのは間違い
・やりかえせば、自分も罪人に成り下がる
・汝の敵を愛しなさい
・イエスは筋金入りのマゾヒストである

教義というのは各人が解釈するものなので、どれも間違ってはいないと思います。
しかし、エセ賢者としては次のような解釈が最も相応しいと考えています。

「全ての出来事は貴方への贈り物である。
だから喜んで受け取りなさい」


誰が言ったのかは忘れましたが、確かそんな言葉でした。
頬を打たれることは一見辛いように思えるけれど、当人の目を覚まし、成長させる為の糧だということです。

「この世界に無駄な物など何もない」
多分、イエスはこう言いたかったのではないでしょうか?

全ては天より与えられた、かけがえのない贈り物。
加害も被害もなく、ただ感謝して受け取るべきものだと。
つまりは、マゾヒストが正解なのですね。

他人が貴方に暴言を吐いたからといって、それが悪意から生じたものである証拠はどこにあるのでしょうか?
貴方が受けた被害が、後の肥やしにならないと、なぜ言えるのでしょうか?
私達は自分が被害者だという妄想に囚われ、真実が見えなくなっていたのかもしれません。

日々受ける苦難は一時だけ貴方を苦しめるけれど、命を絶たない限り、いつか必ず貴方の力になります。
ただ気付いていないだけで、既に大きなプレゼントを受け取っているのかもしれません。
本当は私達が思っているほど、この世界は悪意に満ちているわけではないのに。

「北風と太陽」において、北風は安易な行動に出たが故に旅人の服を脱がすことに失敗しました。
これは復讐心に囚われ、安易な解決方法を選択した私達の姿に酷似しています。

それに対し、旅人の体を温めて恩恵を与えた太陽は、誰にも害を与えることなく服を脱がせることに成功しました。
目的を達成するのに必要なのは、激情に任せた攻撃ではなく、春の日のような暖かな親切心だというこということです。
感情が高ぶったときは、自分の中にある良心の声を聞いて行動しましょう。

嫌なことを言ってくれた人に感謝できますか?
ビジネスや相場で損失が出たとき、素直に反省することができますか?
それができるようになったとき、初めて私達はこの堂々巡りを打ち切ることができるのかもしれません。

貴方が見る全ての景色は、天より与えられた贈り物。
許せないものはなく、受け入れられないものもまたない。
私達が本当に許さなくてはならないのは、復讐心に囚われて大事なことを見失ってしまった、自分自身なのかもしれません。

手をつなぐ
憎むより愛するほうがずっとたやすい。
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