罪と罰 神は誰も裁かない

何が悪いのさ?
神は人に罰を与えません。
獣も鳥も、罰を与えることはありません。
人に罰を与えるのは、人間だけです。
試しにカッターナイフを取り出して、ちょっぴり指の先を切ってみましょう。
傷口から血が出てきますが、血小板でかさぶたができ、白血球が死滅した組織や細菌を除去し、表皮細胞が集まって傷を塞いでくれます。
同じように火傷を負ったり、病気になったとしても、自然治癒力が働いて治ってしまいます。
風邪を引くと熱が出るのも痛んだ食物を食べて下痢になるのも、貴方の身体を守る作用であって、苦しめようとしているわけではありません。
自然は癒すほうに向かうことはあっても、怪我人を罰するようなことはないのです。
植物や動物にしたって同じこと。
仮に貴方が花壇を荒らして草花を引っこ抜き、虫やミミズを駆除したとしても、彼等は決して貴方に文句を言いません。
ただ再生と繁殖を繰り返して、元の状態に戻ろうとするだけです。

自然界には、被害者も加害者もいません。
ただ欠損を埋めようとする力が働くだけのこと。
それなのに私達人間だけが報復と賠償を求め、世界中で骨肉の争いを続けています。
加害者と被害者を捏造し、山のように作った裁判所でいつ終わるとも知れぬ裁判を繰り返しています。
さっさと和解して、その労力を救済に使えばいいのに。
なんと愚かなことか。
そしてもっと愚かなのは、自身を傷付けようとする罪の意識。
エセ賢者は数年間皮膚病を患っていたことがあります。
大抵の怪我や病気はすぐに治る体質なのに、腕にできた炎症だけはいつまで経っても治りませんでした。
それどころかどんどん広がっていて、悪化していきました。
それもそのはず。
炎症がかゆくて仕方がなく、爪で頻繁に引っかいていたから。
身体のほうは治ろうとしていたのに、私自身がそれを妨害していたのですよ。
触れば悪化するのは自明のこと。
けれどついついそこに手が届いて、思いっきりかきむしってしまう。
皮膚とは、自己と外界の境界線。
そこに異常が発生するということは、周囲の環境との間に強い摩擦が発生していたのかもしれません。
病気の原因は様々で、ストレスや病原菌によって体のあちこちに異常が発生するものですが、それ自体が脅威になることはあまりありません。
人には自然治癒力があるので、栄養を取って寝ていればそのうち治ってくれます。
しかし、人がそれを責めて、悪化させてしまうと、治るものも治らなくなってしまいます。
何年も皮膚病を患っていたエセ賢者のように。
人間誰しも失敗はあります。
不注意で事故を起こしてしまうこともあるし、不適切な投資で大きな損害を出してしまうこともあります。
病気になることも、会社を休むこともあるでしょう。
けれど、それ自体はたいした問題ではありません。
本当に危ないのは、それを強調して状況を悪化させてしまう私達なのです。
自然は人を責めないけれど、人間だけは責任を追求します。
責任だの過失だのをでっちあげて、懲役や罰金を要求します。
問題が起これば犯罪者を仕立てあげようとするし、そうでなくても当事者が罪悪感で自身を傷付けます。
それこそが一番の問題なのですよ。
「交通事故を起こした。俺の人生は真っ暗だ」
「株が暴落して1000万の借金ができた。もう死ぬしかない」

そんなふうに思いつめないでください。
悩んでいるのは貴方だけです。
責任を追及しているのも貴方だけか、いてもほんの数人の関係者だけでしょう。
問題そのものはそれほど重要ではありません。
たいていは時間が解決してくれます。
それを大げさに喚き立てて、世界の終わりのように触れ回っているのは誰でしょうか?
・・・きっと貴方自身ですね。
だとしたら、貴方が許せば全て解決するということです。
貴方だけで足りないのなら、他の関係者にも謝って回ればいい。
問題なんてのは、たったそれだけで解決します。
自分で自分を許せば、それで終わりなのです。
全ての罪と罰は、人の心の中にしかありません。
そんな物は自然界には存在しないし、神様や仏様に裁かれることもありません。
救われたかったら、まず自分から許すこと。
贖罪とはそういうものなのです。

こんなアホな悪戯も、神はお許しになられているらしい。