感情と定石と論理に従って判断する
2015-05-13|誰でもできる♪幸せになるコツ

これがプロってものさ。
物事の判断基準は、感情・定石・論理の三つに大別されます。
時々どれでもいいからサイコロで決めたり、他人に判断を委ねる場合もありますが、それは除外します。
ちなみに正しいのは、論理です。
感情や定石に頼って判断するのは止めましょう。
以上で本日のブログは終わりです。
この後を見ても何もありませんので、お帰りください。

・・・なんて簡単に終われば猫賢者も楽なのですが、続きを書かないとネコスキデス大統領に怒られてしまいます。
あー、めんどくさ。
感情:快か不快かで物事を判断する
定石:ルールやマナーに適合するかどうかで判断する
論理:予想される結果が目的と合致するかどうかで判断する
上に書いた通り、物事は論理、つまり「結果がどうなるのか」で判断しなくてはなりません。
しかし、現実的には結果を見ている人は殆どいません。
それどころか、「結果を想定する」という頭を持っている人さえ殆どいません。
大丈夫かよ、人類。
例えば、宗教家。
例えば、学校教育。
例えば、大企業。
例えば、政治家。
彼等は皆それぞれの規範を持ち、それに従って行動を起こしています。
服装が乱れていれば注意するし、他人を傷付けるような言動は慎む。
「人間として正しいこと」や「社会人として守るべきマナー」といった偶像に従い、当たり前のように判断しています。
それが悪いとは言いませんが、それはとても幼稚な行為であることを忘れてはいけません。
なぜなら定石に従うということは、「全ての責任を自分以外の誰かに押し付ける」ことに等しいからです。
社会的に正しいからといって、結果が伴わない行為をしてはいけません。
例えば「明らかにヤバイ外観をしたヤクザがタバコのポイ捨てをした」として、それに注意するべきでしょうか?
社会的正義の観点からすれば咎めるべき行為なのでしょうが、それによって予想される被害は明らかに大きい。
たまたま円満に行ったとしても、それによって得る利益がそもそもない。
定石は7割がた正しいのですが、上記のような「リスクとリターンが釣り合わない行動」が時折出てきてしまいます。
そうして発生した失敗の責任を社会や組織、あるいは神仏に背負わせるのは、無責任というほかありません。

なんて狂信者だ・・・
そして、もっとタチが悪いのが「感情」による判断に傾倒する人々。
実は感情による判断も7割くらいは正しい。
人類が進化の過程で身に付けてきた本能はとても優秀で、時に定石や論理を覆します。
しかし、より複雑になった現代社会において認識限界を超えた膨大な人数を相手どる場合には、しばしば間違いを犯します。
貴方も対人関係で失敗したことの10や20はあるでしょう。
「やりたいからやる」のは動物的にはこの上なく正しいのですが、それで結果が伴わなければ、最終的には間違いになってしまいます。
トレードは感情を逆手に取って動くので、快・不快の判断は大概裏目に出ます。
動物的な感性の通じない機械的な作業ほど、感情による判断はアテにできないことを覚えておきましょう。
感情で判断して結果的に失敗したとしても、それを改める余地はありません。
何度失敗しても、失敗した理由すらわからないのだから。
それでは人は成長しない。
だから、感情による判断は定石以上に避けるべきなのです。
成功が欲しいなら、成功した結果に辿りつく手段を取らなくてなりません。
最適な手段を取った上で失敗し、その原因を見つけて改善しなくてはなりません。
感情で判断する人は、わけもわからず失敗する。
定石で判断する人は、例外を想像できず失敗する。
論理で判断する人は、前提と思考を間違えて失敗する。
・・・しかし、つきつめて間違いを修正していけば、いつかは正しい答えに辿りつくでしょう。
それができるのは、きちんと結果を見据えて考えられる人だけです。
貴方はビジネスや投資で判断を求められる際、一体どれを基準に選択を行っているでしょうか?
きちんと結果を見据えて、最適な手段を取っているでしょうか?
それとも気分と勘に従って、改善しようもないギャンブルを続けているでしょうか?
あるいは根拠もわからない定石を盲信して、先の見えない道を進んでいるでしょうか?
いずれにしても、貴方の自由です。
しかし、結果に対する責任は全て貴方にあり、感情にもルールにも押し付けることはできません。
だから、きちんと結果ありきで物事を考えてください。
最後に泣くのも笑うのも、自分しかいないのですから。

先人の血と涙と苦渋の決断の下に、今の私達がある。
これから先の子孫の為に、私達は正しい判断ができているだろうか?