諦めが悪いのは良いことなのか、それとも悪い事なのか

日本人形も変わっていくんだな。 (。´・(ェ)・)
「諦めが悪い」とは、良い意味にも悪い意味にも使われる不思議な言葉です。
「粘り強い」や「忍耐力がある」という感じに好意的に捉えられることもあれば、「しつこい」や「往生際が悪い」といった意味で叱責されることもあります。
エジソンは、発明において1万回失敗しました。
エセ賢者は、トレードにおいて1万回負けました。
どちらも諦めが悪く、莫大な資金を浪費したのは確かです。
しかし前者は誰もが認める偉人になり、後者はただの落伍者として扱われています。
この違いはいったいどこから来るのでしょうか?

エジソンは大発明をした。
エセ賢者は損失しか出していない。
だから、評価に差があるのは当然。
こう考える人もいるでしょうが、それは結果論です。
結果が出ていないとダメなら、努力している最中の人はみんなカッコ悪いことになってしまいますね。
そもそもなぜエジソンは成功して、猫賢者は失敗しているのでしょうか?
どちらも努力はしているのに、どうして成功と失敗に分かれるのでしょうか?
実を言うと、諦めの悪い人は二種類に分類されます。
一つは、何度間違えても同じことを繰り返す人。
もう一つは、毎回条件を変えて試行を繰り返す人。
エセ賢者は反省という言葉を知らないので、何度も同じようなミスを繰り返します。
怪しい業者に引っかかって痛い目を見るけれど、すぐに忘れてしまうのでまた似たような業者に投資してしまいます。
トレード中に感情的になってルールを破ってしまうけれど、またすぐに理性を失って杜撰な取引をしてしまいます。
少し円高になるとドルを買って、損切りせずに耐え続けて強制ロスカットになってしまいます。
何度も何度もアタックするけれど、条件が変わらないので結果も変わりません。
これが悪い意味での諦めの悪さです。

一方でエジソンは何百という電球の試作品を作りましたが、一つとして同じものはありませんでした。
毎回フィラメントの材料を変えて、それが失敗したことを記録しました。
その結果安定して発光できる素材を発見しました。
(フィラメント電球の発明者はジョゼフ・スワンですが、実用化にこぎつけたのはエジソンの功績です)
膨大なクジの中に当たりがあるのなら、取ったクジを外していけばいつかは正解に辿り着きます。
仮に正解がないとしても、当たりが無いという事実を発見することができます。
しかし、外れクジを除外せず、元に戻して引き続けたのなら、いつまで経っても答えには辿り着きません。
余程運が良ければどこかで当たる可能性もありますが、ひどく効率が悪いのは確かでしょう。
エジソンはそれを知っていて、確実にハズレを潰していった。
ヌコ賢者はそのルールに気付かず、記録も取らなかった。
その違いが明暗を分けたわけです。

何か新しいことをやろうと思ったら、試行錯誤は絶対に必要です。
難しいことであれば、山のような失敗を許容しなければなりません。
そういう意味では、成功するために粘り強さは不可欠と言えます。
しかし、それはただ回数をこなせばいいというものではありません。
同じ会社で同じ仕事を、同じ仲間と同じ気持ちで行っていたら、何も変わらないのは当然ではありませんか。
ルーチンワークをいくら続けたって、答えには辿りつかないんですよ。
場所を替え、作業を替え、新しいメンバーを迎え、何よりもその想いを一新して挑むことができれば、結果は必ず変わります。
どんな些細なことでもいいから手を加えて、昨日と違う今日を生きるように心がけてください。

生き延びるためには、変わり続けるしかない。