リバタリアンのリバタリアンによるリバタリアンのためのリバタリアリズム

要求に応じた給料を払えよ! (♯`∧´)
エセ賢者は昔から税金が嫌いでした。
所得税も消費税も相続税も、健康保険料も年金保険料も、お金を取られるのは全部嫌い。
「人様のなけなしの財産を強制的に取り上げるなんて許されない!」と、いつも憤っていました。
役人が鞭を持って年貢の取り立てに来ていた頃から、搾取への怒りは変わりません。
今も買い物でレジに消費税が表示される度に、それを作った政治家や官僚への怒りが湧いてきます。

不満の対象は、税金だけではありません。
NHKの受信料も、町内会の会費も、会社のコンパ代も、半強制的に要求される募金や香典も、何もかもが憎かった。
自分からお金を出すのは問題ないけれど、他人に強制されるのは我慢がならなかった。
NHKの下請けが玄関を叩く度に、追い返してやったものですよ。

なぜそこまで強制徴収が嫌だったかと言えば、それは私がドケチ・・・じゃなかった、生粋のリバタリアンだからです。
心から自由を愛する野良猫だから、他人に自分を左右されることは許せなかったのです。
お金と自由にはあまり関係がないように思えるかもしれませんが、現実には密接に関係しています。
殆どの労働者は賃金のために働き、お金によって支配されています。
仕事によって時間や住居を縛られているし、十分なお金があればある程度自由を買うことができます。
我々リバタリアンにとって、お金を奪われることは自由を奪われるのと同意義なのです。
今でこそ奴隷は国際条約で禁止されていますが、かつては世界中で使役されていました。
彼等は一切報酬を与えられることなく、過酷な労働に従事していました。
現代の労働者はもちろん労働基準法に守られているし、サービス残業でなければ相応の賃金が支払われます。
しかし、その労働の成果を後から取り上げられたらどうでしょうか?
働きに応じた給料が支払われても、役人がそれを税金として取り上げたのなら手元には残りません。
政府が国民に勤労の義務を課してその報酬を収奪するのなら、サラリーマンと奴隷は何が違うのでしょうか?
形ばかりの自由経済を採用したところで、役人が合法的な搾取と浪費を行うのなら、自由主義が実現したとは言えないのではないでしょうか?

私達の身体は、私達のものである。
私達の時間は、私達のものである。
故に私達が身体と時間を使って生み出した労働の価値も私達の所有物であり、誰にも取り上げる権利はない。
これがリバタリアンが掲げる、税金の不当性の根拠です。
お金を取り上げられるのは、身体をちぎり取られるのと同じことなのです。
厳密に言えば、お金と時間を全く同じように考えるのは正しくない。
社会秩序を無視して、自分の権利だけを主張するのも正しくはない。
けれど、ワイルドキャットである猫賢者は、肉体的にも経済的にも自由を求めずにはいられません。
タダ働きも、奴隷扱いも、まっぴらゴメンです。
もっともっと稼いで自由になりたいと、本能が叫ぶのです。

かつて第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーンは、人民のための政治を掲げて奴隷の解放のために戦いました。
その結果人々は自由を手にして、世界から奴隷制度は根絶されました。
しかし、今のこの世界で、完全な自由を得た人はどれだけいるでしょうか?
名目上は奴隷でなくても、雇用契約や福祉制度に隷属している人が大半ではないでしょうか?
貧しくて欲しいものが買えないのなら、
経済的な都合で若者が結婚できないのなら、
仕事の都合で居住地を選ぶことができないのなら、
勤務時間に縛られて好きな時間に行動できないのなら、
それは自由とは程遠い。
奴隷どころか、お金を生むだけの機械になり下がってしまうかもしれません。

貴方は自分で自分を所有する、自立した人間でしょうか?
それとも知らず知らずのうちに束縛された、社会の奴隷でしょうか?
できることなら、前者であって欲しいと思います。
誰もが人間としての権利を持てるように。
経済的に成功して、より多くの選択肢を得られるように。
それが私達リバタリアンの願いです。

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