人間はなぜ恋をするのか

美人ばっかり・・・?
少女漫画やドラマの世界には素敵な恋愛話がいくらでも溢れていますが、現実の私達が熱烈な恋愛に身を投じているかというと、そうではない人の方が多い気がします。
数十年前に比べても、今の若者が恋をする機会は少なくなったように思えます。
今ではただの猫型ロボットになり果てているエセ賢者も、昔は恋する少年でした。
美しい女性(と可愛いネコ)を見かけては、胸が高鳴ったものです。
それが今ではすっかりご無沙汰。
近隣の女性、女優、アイドルを見たところで恋焦がれるようなことは全くありません。
なぜ恋愛ができなくなったかといえば、それは相手を自分より格上と思えなくなってしまったからです。
「素敵な相手がいれば恋に落ちる」とか「衝撃的な出会いがあれば恋愛が始まる」と思っている人もいますが、それは違います。
恋愛とは自分の欠点を認識して、それを埋めようとする行為なのです。

気の遠くなるほど昔の話ですが、小学生のエセ賢者は背の高い女性教諭に憧れていました。
というのも当時の私はクラスでも2~3番目に身長が低くて、立派な体格の持ち主が羨ましかったからです。
その後二次成長期を過ぎて、私の背がグングン伸びていくと、その気持ちはだんだん薄れてきました。
自分の方が大きくなったことで、他人にそれを求める必要がなくなったからです。
もしも貴方が貧しい女性であれば、経済力に優れた男性に好意を抱くでしょう。
あまり教養のない方であれば、高学歴な相手に惹かれるでしょう。
自分に足りない能力は、パートナーに埋めてもらいたい。
その長所を子供の遺伝子に組み込めば、子孫の繁栄にもつながる。
男女が異性に求めるものは、自身の劣等感の裏返しでもあるんですね。

恋の始まりは、怒りや嫉妬を伴うこともあります。
なぜなら、それは相手の長所を知ることで、自分の短所に気付くことだからです。
怒りも嫉妬も、尊敬も思慕も、成長の大事なステップなんですね。
猫賢者がネコに強く惹かれ続けたのは、それが決して手に入らないものだからでしょう。
フサフサの毛も、大きな瞳も、柔らかい身体も、甘ったるい声も、全てが人間には手の届かない代物。
簡単には達成できないからこそ憧れ、それに近づこうと努力してきました。
本当の意味で猫になり切れない限り、ヌコ賢者の恋は終わらないわけです。

唯我独尊で高慢な人は、決して恋をしません。
人間は自分よりも格下と思っている相手からは、価値を見出そうとしないからです。
年を取ってくると経験が蓄積して自己評価が上がるので、未熟な若者より相手を見る目が厳しくなりがちです。
もしも貴方が他人に興味を持てないのなら、自身を過大評価しすぎているのかもしれませんね。
近年の情報化社会は、私達の知識レベルを大きく引き上げました。
それは確かに素晴らしいことなのですが、要求水準の上昇がカップリングを難しくたのも事実です。
誰もが「恋をしたい」と言うけれど、「人を尊敬したい」とは言いません。
それは本来一緒のことなのに、なぜかそれに気付かないのです。
相手を欲するということは、相手を認めるということです。
自分の至らない点を認識して、それを補ってくれる相手に協力を求めるということです。
貴方がもっともっと成長するするために、自身の弱点を知って克服するために、これからも恋をしていきましょう。

⇒ありがとう、ごめんなさい 感謝と謝罪は表裏一体