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課題の分離ができない限り一生悩みはなくならない - 貴方を幸福にするFXブログ

課題の分離ができない限り一生悩みはなくならない

金曜日は忙しくてコンビニの仕事に入れない
仕方ないだろ! (ノ_<)

・小学校のいじめ問題
・アイドルや俳優の暴行事件
・詐欺や強盗


様々な事件が起こる度に加害者(または被害者)のバッシングが巻き起こりますが、エセ賢者はできるだけ関わらないようにしています。
なぜなら、自分に関係のない相手を叩くのは課題の分離に反するからです。

自身が犯罪の被害者であったり、税金や年金のように国民全体に影響がある場合はわかります。
あるいは同じような被害に遭う人を減らすために、社会に注意を呼びかけることもあるでしょう。
しかし、会ったこともない他人やテレビでしか見た事のない人の問題に対してなぜ関わろうとするのでしょうか?

それは自分の課題であるのか?
あるいは他人の課題であるのか?
そこははっきり区別しなければ、社会の波風に振り回されるばかりで、決して成功することはできないでしょう。

課題の分離はユング、フロイトと並ぶ心理学者アドラーが提唱した考え方です。
そして、日常において何を優先して取り組むべきか判断する指針になります。

・自分にコントロールできないものは自分の課題ではない
・自分が困らないことは自分の課題ではない
・その問題によって困る人の課題である


・人は自分の都合で動く
・他人は絶対にコントロールできない


例えば、子供が学校でいじめられているとしたら、それは虐められている子供の課題です。
親や教師の課題でもなければ、虐めている子供の課題でもありません

アイドルがファンに暴行されたとしたら、それは暴行されたアイドルの問題です。
ファンの課題ではないし、視聴者の課題でもありません。

投資の詐欺に遭ったなら、詐欺の被害を受けた人の課題です。
エセトレーダーが財産を騙し取られたなら、エセトレーダーが自分で解決しなければなりません。

過酷ないじめパン

こう聞くと、

「何の落ち度もない被害者に責任を押し付けるなんてひどい!」

「加害者に加担している!」

「冷淡で残酷だ!」


と憤る人が多いでしょうが、実はこれが本当の思いやりです。
問題に対して責任を取れない人が、他人の課題に踏み込んではいけません。

アドラー心理学は原因論ではなく、目的論を取ります。
「原因が何であるか」は関係なく、「これからどうするか」を考えて理想の未来を作ることに全力を尽くします。

いじめが起こった原因は、もちろん加害者でしょう。
強姦だって詐欺だって、犯人が悪いに決まっています。

でも、それが何なのでしょうか?
犯人がわかったら、もう事件は起こらなくなるのでしょうか?
そうではないはず。

例えば、
「寒いから風邪をひいた」
という原因論は論理的には正しい。

しかし、「寒い」という原因を私達に解決することはできません。
地球上の気温を完全に操作し、冬という季節をなくすのは不可能だからです。
仮にできたとしても途方もなく大きな労力がかかるし、不摂生にしていればどっちみち別の原因で病気になります。

花粉症風邪

私達が取るべきは厚着にしてマスクを付け、風邪薬を飲んで寝ること。
原因である「寒さ」ではなく、「風邪を治す(予防する)」という目的のために何をするか考えることです。

このように原因ではなく目的に注目する考え方を目的論と呼びます。
人は基本的に原因論を好みますが、それは「自分に責任がない」と信じたいからです。
気持ちはよくわかりますが、その考えでは原因が結果を決めてしまうことになるので、自分の望む未来を引き寄せることはできません。

いじめた子供を少年院に入れたり、犯罪者を逮捕すれば問題は解決するでしょうか?
おそらく根本的な解決にはなりません。

一時的には良くなるでしょうが、しばらくすればまた別の加害者が現れます。
陰湿な行為をする生徒はいくらでもいるし、悪質なファンや詐欺師も同様です。
犯罪者なんてのは次から次へと沸いてくるので、きりがありません。

嘘ついた詐欺師

動物は結局のところ他の動物を食って生きるものなので、暴力や搾取を撲滅するのは不可能です。
被害を防ぐためには、被害者が対策を立てるしかありません。

もしも他人が勝手に解決してしまえば、その人の成長を阻害します。
「被害に遭わない方法」を学習しなかった人は、同じ被害を繰り返すでしょう。

この話を聞くと、「他人に頼ってはいけないのか!」と考えるかもしれませんが、それも違います。
むしろ積極的に頼るべきだと思います。

弁護士や警察、家族や知人の協力は不可欠です。
他人に協力を仰ぐことは、最も有効な手段です。
自分の課題に対して他人の力を借りることは、全く恥じることではありません。

「自分の課題で他人の力を借りる」のと、「他人が主導して勝手に解決する」のは何が違うのでしょうか?
第三者から見れば同じように見えるかもしれません。
しかし、その結果は全く異なります。

我々投資家は、他人が問題を解決する危険性をよく知っています。
かつてFXはレバレッジ制限がなく、ハイレバ取引によって億万長者になる人がいる一方で、借金を抱えて破産する人も沢山いました。
「投機によって借金を背負うリスク」という課題をトレーダーは持っていたわけです。

これを解決するために、金融庁は最大レバレッジに制限をかけ、50倍→25倍と段階的に引き下げられました。
この結果確かに平時に未収金が発生することは減りましたが、結局スイスショックやアップルショックのような大きな変動の際には破産者が続出しました。

投資家は取引できる数量が減り、強制ロスカットにも遭いやすくなるというデメリットを受けました。
本当は追証をなくしたかったのに、それは叶えられませんでした。
「投資家の課題」に役所が出張ったところで、誰も得しなかったわけです。

日本の役人は基本的に国民の意見を聞かずに自称有識者の判断で法律を作ってしまうので、本来犠牲になる人が助からず、かえって迷惑を被ることが少なくありません。
文部科学省はいじめ問題を解決するために道徳教育を強化しようとしていますが、その考えが正しくないのは火を見るよりも明らかでしょう。

いじめはダメだがタイマンは良い

野生に生きる猫賢者は「狭い教室に多数の獣を閉じ込めれば食い合うのは当然」と思っているので、個人教育に切り替えるか生徒が自由に教室を移動できる制度を作るべきだと思います。

しかし、それは野生動物の勝手な考えでしかありません。
本当に子供の課題を解決するためにはいじめに遭ってる子供自身が選択し、大人がそれに協力するしかないでしょう。

「子供にはまだ分別がないから大人が決めるべき」と考える人もいるかもしれませんが、それは子供をバカにしているだけです。
「個人投資家は馬鹿だから専門家が決めるべき」と考えている官僚と何も変わりません。

問題を解決するためには、まず最初に「それは誰の課題か?」を考えなければいけません。
被害に遭っている人、それで困っている人が率先して意見を出し、他の人はそれを静かに聞くのです。
決して当事者を貶めたり、ましてや独り善がりな考えで解決を図ってはいけません。

課題の分離と自己責任は、決して他人を見捨てる我田引水な思想ではありません。
その本質は他者を自分と対等な存在と認め、尊重することなのです。

繋いだ手と手

課題の分離について詳しく知りたい方は、ぜひアドラー心理学の「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」をご一読ください。
ベストセラーになっている名著なので、きっと貴方の人生の糧になると思います。



アドラー心理学の本

⇒TOKIO山口達也の強制わいせつ事件は100%女子高生の自己責任
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No title

まさか、成功を欲して、いじめられっ子やまほほんの応援記事を書く人なんて一人もいない事は当然貴殿も承知しておられるとは存じますが、そんな人達の義憤を見て、浅はかだぁwと冷笑されるならどうぞお笑い下さい。

例え本人の為にならないとかいう理論が正しくても正しく無くても、自分は傍観者の立場を良しとはしません。

あと、道徳教育の強化をその理論にこじ付けて反対論の話の方に持って来るのは、クソミソ統一理論で強引すぎると思います。

2019-02-04 19:30 | from 山中 一人

いじめや暴力など、自分自身だけでは解決できない場合もあります。相談したり、援助を求めることが不可能な場合だってあります。例えば援助を求めたとして、その援助者の立場の人間が、理解を示さない人であったらどうでしょう。それを克服するのが、本人の課題だとしても、なかなか難しいのではないでしょうか?
課題を克服していくことは確かに力になります。でも、それも問題の大きさによると感じました。

2019-02-04 21:08 | from けら

Re: No title

> まさか、成功を欲して、いじめられっ子やまほほんの応援記事を書く人なんて一人もいない事は当然貴殿も承知しておられるとは存じますが、そんな人達の義憤を見て、浅はかだぁwと冷笑されるならどうぞお笑い下さい。
>
> 例え本人の為にならないとかいう理論が正しくても正しく無くても、自分は傍観者の立場を良しとはしません。

傍観者でいろ、と言っているわけではないんですよ。
私達に必要なのは「被害者の声を聴くこと」であって、勝手な判断で動くことではありません。

日本のメディアは盛んに「加害者の劣悪さ」を囃し立てますが、それに乗ってはいけません。
加害者がどうであるかは私達にはどうにもならないことであり、どうでもいいことだからです。
それよりも「被害者の希望が叶えられたか?」を考えてみてください。

> あと、道徳教育の強化をその理論にこじ付けて反対論の話の方に持って来るのは、クソミソ統一理論で強引すぎると思います。

これまで文部科学省は様々ないじめ対策をしており、道徳教育もその無数にある中の一つだと考えます。
別に取り上げるのが何でも構わないのですが、一つとして効果のある対策があったでしょうか?
私達が子供だった頃と比べて何も変わっていないとしたら、それが答えです。

「いじめがあったら自分の気分が悪くなる」
ということにして、いじめを自分の課題にすることは可能です。
しかし、それはあくまで自分の課題なので、たとえ解決しても子供達自身の課題は残ります。
貴方がどんなに誠意を尽くしても、他人の課題を自分が率先して解決することはできないとご理解ください。

あと目的論とは「目的を果たすために何が最も適切か?」と考えることであり、誰かを浅はかだぁwと冷笑することではありません。
感情に振り回されるのではなく、自分の行動に対してどのような結果が得られるのかを冷静にお考えください。
過去の人々があれだけ努力して成し遂げられなかったことを、矮小な自分が簡単に変えられるでしょうか?
難しいと思うのなら、新しい考えを取り入れてみるのもいいと思います。
とりあえず「幸せになる勇気」は読んでくださいね。

2019-02-04 21:18 | from 幸福賢者

Re: タイトルなし

> いじめや暴力など、自分自身だけでは解決できない場合もあります。相談したり、援助を求めることが不可能な場合だってあります。例えば援助を求めたとして、その援助者の立場の人間が、理解を示さない人であったらどうでしょう。それを克服するのが、本人の課題だとしても、なかなか難しいのではないでしょうか?
> 課題を克服していくことは確かに力になります。でも、それも問題の大きさによると感じました。

その理解者になるのが私達の役割です。
理解者が見つかるまで子供は延々と探し続けるでしょう。

課題の大きさによっては困難であったり、そもそも解決不可能な場合もあります。
しかし、それ自体は問題ではありません。
私達は「いつか死んでしまう」とか「先天的な障害がある」といった欠点を持っていますが、
解決できていませんよね?

人生の課題は学校の課題とは違います。
必ずしも解決しなければならないものでもなければ、解決できるものでもありません。
その人が「それを解決したい」と思った時に、取り組むことができるものです。
それを解決するにせよ、受け入れてそのままにするにせよ、捨てて逃げるにせよ、
全て自由です。
私達はただ自分の理想に少しでも近づくために、最善の選択を試みるだけです。

2019-02-04 21:46 | from 幸福賢者

No title

こう考えて行動する方がよいだろうと理性ではわかっていても、
自分の思い通りに身体が動いてくれないときがある。
そんな時は、本で読んで理解したつもりでも、まだ身体レベルで
それが身についていないのでしょうね。
でも、自分が善いと思うことを、普段から何度も考えていれば
いざという時、ほんのちょっと勇気が出てくるはず。
そして、ついには自然に体が動いていく。
わかっちゃいるけど、これが難しいだよなあ。

2019-02-05 19:19 | from 名無しもほどほどに

Re: No title

> こう考えて行動する方がよいだろうと理性ではわかっていても、
> 自分の思い通りに身体が動いてくれないときがある。
> そんな時は、本で読んで理解したつもりでも、まだ身体レベルで
> それが身についていないのでしょうね。
> でも、自分が善いと思うことを、普段から何度も考えていれば
> いざという時、ほんのちょっと勇気が出てくるはず。
> そして、ついには自然に体が動いていく。
> わかっちゃいるけど、これが難しいだよなあ。

人間は頭で考えて行動しているように思えて、実は習慣と反射で動いていますからね。
理論的・理性的に選択していることなんて、数%しかないでしょう。
理解するだけでなく、無意識でも正しい選択ができるように習慣化していかなければなりません。

2019-02-08 11:07 | from 幸福賢者

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