トレーダーが考えるお客様が神様でない理由

ソバ売ってるだけなのに!? ((((;´・ω・`)))
「お客様は神様です」
これは1961年頃に三波春夫と宮尾たか志の対談の間で生まれた言葉ですが、本来の意味から外れてクレーマーを増長させたり、過剰なサービスを正当化する言い訳になってしまっています。
大抵の日本人は礼儀正しいものですが、お店に行くと横柄になる人も少なくありません。
「金を払っているんだから言うことを聞けよ!」
という意味でこの言葉を捉えている人もいるでしょう。
実際コンビニやレストランでは客の方が立場が上であることが多く、店側が偉そうにしていることはまずありません。
店員は笑顔で「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」と声をかけますが、客がお礼を言うことは極めて少ない。
「お金を払っているから丁寧に対応するのは当たり前」
という考えが根底にあるのかもしれません。
しかし、この考えは取引の本質からすると明らかに間違っています。
なぜなら、取引とは本来対等な立場で行われるものだからです。
例えば、FXトレーダーらしく「日本円と米ドルの交換」を考えてみましょう。
エセ賢者は100円を両替して1ドルに替えました。
さて、どちらがお客(神様)ですか?
日本円を出した猫賢者?
米ドルを出した取引相手?
インターバンクは取引を仲介しているだけなので、商店ではありません。
もちろん、この両者は対等です。
日本円が上位でも米ドルが上位でもありません。
トレードの世界には現実のお店のように、明確な上下関係は表れません。

本来取引とは、二者が互いの所有物を交換する行為を指します。
古くは物々交換が行われていましたが、それでは互いの欲求をマッチングさせるのが難しいためにお金という価値の基準を経由するようになりました。
「100円」と「100円分の価値がある商品」は、市場価値としては等価です。
互いに同等の所有物を差し出すのだから、上下関係は存在しません。
商品と代金であろうと、労働力と賃金であろうと、等価交換においてどちらかが優位ということはあり得ないのです。
しかし、現実にはお金を払う側が優位、お金を受け取る側が劣位として扱われることが少なくない。
マクドナルドの店員は常にスマイルを強制されているし、社員に給料を支払う社長は偉そうにしています。
等価交換のはずなのに、なぜこういった現象が起こるのでしょうか?
それは資本主義社会においてお金が持つ交換価値が、商品やサービスの持つ使用価値より重視されやすいのが起因していると考えます。
現金があれば米もパンも買えますが、米でパンを買うことはできません。
価値の基準であるお金は即座に何にでも交換できるため、同額のモノやサービスに比べて高く評価されがちです。
皆がお金の万能性を信じているため、商品を提供する側よりお金を払う側が優位に立ちやすいわけです。
これは資本主義社会においては納得の行くことではありますが、トレードの本来の目的からは外れています。
なぜなら取引の目的とは単なる交換ではなく、互いの価値を高めることだからです。
貴方がコンビニで100円のオニギリを買ったとして、それと100円玉はどちらの方が価値があるでしょうか?
市場価格で言えば同額、スプレッドや兌換性を考えるとマイナスになってしまいます。
何の得もしないのに、貴方はなぜオニギリを買うのですか?

貴方がオニギリを買ったのは、自分の中では100円よりも価値が高かったからです。
銅やニッケルの塊を抱えていてもお腹は膨れません。
それよりもオニギリを食べて栄養を取った方が、貴方の満足度は上昇します。
貴方は硬貨をオニギリに替えることで、主観的な価値を高めていたわけです。
主観的価値は、人によってそれぞれ異なります。
だから私達は他人とモノを交換し、自分の中で最大の価値を高めようとします。
個々が欲しい物を交換し続けるほど、それぞれの充足感は高まります。
資本主義社会における取引とは単なるゼロサムゲームではなく、社会全体の幸福度を最大化する仕組みなんですよ。
コンビニで買い物をすれば、客は代金以上の満足を手に入れることができます。
代金を受け取った店側も、提供した物以上の満足を得ます。
その結果双方が得をしたのだから、どちらかが神様なんてことはあり得ない。
そう考えると、客が店員よりも偉そうにしているのはちょっとおかしくありませんか?
店員がニコニコ笑って接客してくれているのに、客がしかめっ面をしながら財布を出しているのは変な感じがしますよね?
取引が客と店がどちらも幸せになるために行うことです。
貴方が代金を支払う時にこの話を覚えていたら、ぜひ店員に負けないように笑顔を返してあげてください。

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