どんなに頑張っても努力が認められない理由と三つの解決策

これで解決だ! (^∇^)ノ
会社でも学校でも家庭でも、人は誰しも努力しています。
毎日夜遅くまで働き、家事をこなし、自己啓発に励み、周囲に気を遣って生きています。
しかし、これだけ頑張っても努力が報われるとは限りません。
上司や家族ですら正当に評価してくれないのは、貴方が知っている通りです。
他人からの評価はだいたい自己評価より低いもの。
相当頑張っていても十分に承認欲求を満たせている人は稀でしょう。
なぜこのような食い違いが生じるのでしょうか?
それは考えてみれば当たり前の理由。
「他人が自分を見ている時間」は「自分が自分を見ている時間」より短いからです。
貴方は24時間自分を演じているので、見ている時間も24時間。
睡眠時間が8時間あるとしても、16時間も自分を観察しています。
それに対して他人が貴方を見ている時間は極めて短い。
直接の上司でも2時間、配偶者で5時間もあれば長いほうでしょう。
神は常に大衆を見守っていてくださるかもしれませんが、目に見える形で称賛してくれることはありません。

自分の努力を100%知っている自分と、一部しか知らない他人。
二者の印象に差が生まれるのは必然でしょう。
貴方の仕事のごく一部しか見ていない上司や家庭の姿しか知らない妻が、貴方の努力を褒め称えるわけがありません。
欲求不満に陥った人の多くはもっと頑張ることで自分の業績を周知させようとします。
しかし、それは大きな間違いです。
努力の積み増しは絶対に承認欲求の剥離を解決しません。
これまで8時間勤務してきた貴方がさらに8時間残業したら、仕事の成果は倍になるかもしれません。
他人が自分を見ている時間も倍になって、周囲からの評価も上がるでしょう。
しかし一方で、貴方自身が支払う対価と自己評価も倍になってしまいます。
変更前)10の努力→5の評価・・・5足りない!
変更後)20の努力→10の評価・・・10足りない!
結局、努力と周囲の評価が釣り合うことはありません。
むしろもっと差が広がっていく可能性が高いでしょう。
もちろん経営者は喜ぶでしょうが、労働者からすればさらに搾取されるだけです。

では、どうすればこの溝を埋めることができるのでしょうか?
その方法は大まかに三つあります。
①頑張らない
②努力を可視化する
③他人の評価に依存しない
①頑張らない
クソみたいだけど確実で簡単な方法。
ナマケモノの血を引くニート賢者のように徹底して怠ければ、自己評価も他者の評価も極めて低くなります。
極端な話努力を完全にゼロにすれば、完全に一致します。
変更前)10の努力→5の評価・・・5足りない!
変更後)0の努力→0の評価・・・完全に一致!
もちろんただのダメ人間と見なされるだけですが。
今の日本にニートやフリーターが増えているのは、働いても報われないからだと思います。

②努力を可視化する
基本的に在宅ワークや知的労働は、外勤や肉体労働に比べて社会からの評価は低くなりがちです。
仕事をしている姿が目に触れる機会が少ないからです。
逆に言えば露出の多い職業は注目を集めるので、好感度も高くなりやすい。
俳優やアイドルはその典型ですね。
YouTuberや政治家、活動家も悪くない。
テレビや映画で多くの人の目に触れれば、社会的欲求を満たすのは難しくないでしょう。
別に職業を変える必要はありません。
会議に出席して意見を言う、人目に付く場所で作業をする、自分の作った製品を職場や家に飾っておくなど、様々な方法が考えられます。
とにかく観衆の目に触れる機会を増やしましょう。
変更前)10の努力→5の評価・・・5足りない!
変更後)10の努力→7の評価・・・マシになった?
たまに悪事を働いて注目を集めようとする人がいますが、それも仕方ないのでしょうか?

③他人の評価に依存しない
多くの人は①と②を彷徨った挙句、最後はだいたいこれに到達します。
他者に認められるのを諦めて、自分で自分を認めていく道です。
他人に褒められなければやる気が出ないというのは、自分の行動を他人にコントロールされているということ。
目の前に人参をぶら下げられた競争馬と同じ。
つまりはただの奴隷です。
もしも自分の思うように生きたいと望むのであれば、他人の指示や嗜好に依存してはいけません。
「何が正しいか」は社会でも倫理でもなく、貴方自身が決めるのです。
アドラー心理学は他者による承認を否定し、共同体感覚によって「自己満足の貢献感を得ること」を提唱しています。
それは良心に従って自己犠牲をしない範囲で他者に貢献することで、自分の心を満たすということです。
変更前)10の努力→5の評価・・・5足りない!
変更後)10の努力→最善を尽くしたからいいんだよ!
「プロは自己満足ではいけない。仕事は他人の要求に応えなくてはいけない」
という考えは確かに正しいけれど、それと上司の言いなりになることはイコールではありません。
仕事において必要なのは社会の需要にフォーカスすることであり、特定の誰かの期待に応えることではありません。
小さな視野を捨ててより大きな共同体である世の中全体へ貢献することは、上司に褒められるより間違いなく誇らしいことでしょう。
その正しさや価値の基準は会社や家族ではなく、貴方の中に在らねばなりません。
上記の①~③のいずれの方法を使っても、問題は解決できます。
敢えて不満を原動力に努力を続けて、成果を極大化させる道もあるでしょう。
(永遠に満足しない人生もそれはそれで面白い)
しかし、最後に必要となるのはやはり嫌われる勇気。
他人への依存を諦めて、自立することではないかと思います。

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