メンタルコントロール 怒りや不満の正体と最高の対処法

とんでもない名前を付けやがって! ε=ε=(怒゚Д゚)ノ
結論から先に言うと、怒りや不満の正体は理想と現実の落差です。
理想が100に対して現実が30であるなら、差し引き70が感情として発現します。
怒りは「防衛感情」とか「不安や寂しさの裏返し」という考えもありますが、物理的な現象としては極めてシンプル。
①こうであるべきという価値観=理想、期待、予想、希望、願望、欲求、見込み、望み
②そこから剥離した事象=現実、結果
結果が期待に劣っていれば、不快(怒り、憤り、不満、悲しみ、落胆)となって現れます。
逆に結果が勝っていれば、快(喜び、満足、楽しみ、嬉しさ)となって現れます。
要するにただの引き算なんですよ。
暖かい所から冷たい所に熱が移動するように、感情も落差に従って移動しているだけ。

例えば警察官が不祥事を起こしたり、教師が淫行をすると社会から大きなバッシングを受けます。
最近でも警察署で詐欺被害の8500万円が盗難されたり、教員が盗撮で逮捕される事件がありました。
社会の模範になるべき人々が犯罪に加担していたので、世間から大きく非難されました。
しかしその一方で、被害のわりにたいして注目されない事件も多々あります。
詐欺師が何十億円も騙し取っても、暴力団が地上げをしても、ほとんどの人は気にも留めません。
大抵は「騙される奴が悪い」だけで済まされてしまいます。

そうなるのは、感情が理想と現実の高低差で生じるからです。
大衆は、警察官や教師に対して節度ある行為を期待しています。
だからそれに外れた行動をすると、大きな落差が生まれます。
反対に、詐欺師や暴力団は「どうせ悪い事をするだろう」と思われています。
だから犯罪が起きた時に嫌うことはあっても、想定と変わらないからあまり感情が動かないのです。
もしもそれで大きな怒りを覚えるとしたら、貴方は「どんな人も方を遵守するべき!」という強い信念を持っていて、それと現実を比較しているのでしょう。
恋人に裏切られた時に怒りを感じるのは、相手に裏切らないことを期待しているからです。
子供が悪戯した時に怒りを感じるのは、いい子でいることを期待しているからです。
上司に酷評された時に怒りを感じるのは、自分はもっと大事にされるべきだと考えているからです。
FXで負けた時にディスプレイを破壊してしまうのは、トレードで勝つことを渇望しているからです。

人はありとあらゆるものに対して「こうあるべき」という固定観念を持っているし、常に自分に都合良い展開を願っています。
けれど、現実がそれを満たすとは限らない。
だから、その剥離がある限り感情の隆起はなくならない。
つまり、現実が容易に変わらないのであれば、怒りを招いているのは自分の理想なのです。
近年は芸能人の浮気や薬物使用などで必要以上にバッシングする人が増えました。
アベノミクスで経済的な格差が広まったのもありますが、やはり現代人の理想が高くなったことが大きな原因だと思います。
ほんの少し昔は衣食住全てがボロボロで、食べていけるだけで上等な時代でした。
理想が低かったので、他人に対して腹を立てることも少なかった。
しかし現代はあらゆるサービスが高水準で、インターネットによって上流階級の情報に簡単に触れられるようになりました。
文明が進歩すれば理想も高まり、現実との落差も自然と開いてしまいます。
他人への期待が高まりすぎれば、些細なことに対しても不満を覚えるようになっていきます。
もしも感情の制御を望むのなら、自身の理想を抑えるのが手っ取り早いでしょう。
他人は裏切るもの。
自分は大事にされることはない。
チャレンジは失敗するのが当たり前
そう割り切ってしまえば、何に対しても怒りを感じることはありません。
(絶望はするかもしれませんが)
メンタルコントロールとは、「理想の調整」なのです。
ただ、何でも理想を極限まで下げればいいかと聞かれたら、エセ賢者は断固否定します。
楽な生き方ではあるでしょうが、その先には希望も進歩もないからです。
期待が外れた時に不快になるのは、「なんとしてでも願いを叶えたい!」と貴方の心が叫んでいるからです。
その想いは現実を変えるための大事な原動力です。
激情を否定するのは、自分自身の理想を否定するのと同じこと。
妥協の先に残るのは、無気力な抜け殻だけ。

私達がするべきはその想いを否定することではなく、より良い形に昇華させてやること。
そのためには憎悪を自分以外の誰かに向けるより、心の中にある理想を自覚することから始めましょう。
貴方が自分の境遇に不満を感じるなら、もっと上の待遇を目指しているということ。
他人に嫉妬するのなら、貴方もまたそれになりたいと願っているということ。
今の会社やパートナーに怒りを感じるのなら、より条件の合った相手と付き合いたいということ。
川の水が海に向かって流れるように、貴方の心もあるべき姿に向かって動き出そうとしているということです。
どうかその渇望を邪魔なものとして切り捨てるのではなく、正しい方向に向けてあげてください。
