長靴を履いて歩いた後に道はできる
我が家のモフモフ式全自動草刈機も意外とグルメで、美味しくない雑草を残してしまいます。
除草がなかなか進まないので、仕方なく楽天市場で草刈機を購入しました。
最近の草刈機は優秀で、軽いわりにそこそこのパワー。
充電式ならどこにでも運べて、金属ブレードで面白いくらい草がザクザク切れます。
毎日これで草を刈って一週間ちょっと。
確かに便利なのですが、気付いたことがありました。
それは「本当に大事なのは道具ではない」ということ。
田舎にある似非家の庭は毎年春になると雑草で覆われてしまいますが、一部だけほとんど雑草が生えていない箇所があります。
それは、玄関からウサギ王国へ続く道。
エセ賢者が兎達に会うために、毎日通っている場所です。
なぜ同じ土質・日当たりなのに、そこだけ綺麗に草が禿げているのか?
もちろん、人が日常的に歩いているからですね。
猫賢者の体重が60kgとすれば、60kgのハンマーで毎日地面を打ち付けているのと同じ。
踏みつけに強い芝生はともかく、普通の植物は深刻なダメージを受けます。
木の枝もポキポキ折れるし、柔らかい岩石も砕けるか地面に沈みます。
巨大な動物は、ただ動くだけで地表を破壊し、平らにしてしまいます。
その力は、私達が思っているよりずっと強い。

もちろん自然は頑丈なので、一回や二回歩いただけではたいしたことはないかもしれません。
しかし、体重を踏めばその場所は凹んで、次から明らかに歩きやすくなります。
何度も歩いていれば誰もが通れる、いわゆる道路になります。
今でこそ重機とコンクリートで舗装された道路が作られていますが、元々道というのはこうやって人や獣が通ることで作られてきました。
通路があるから通るのではなく、「通るから通路ができる」というのが正しい。
道路を作るためには、そこにある障害物を排除しなければならない。
新幹線のレールを敷くためには、そこに住む住人に立ち退いてもらわなければならない。
商売をするためには、他社からシェアを奪わなければならない。
この三次元空間は物質の衝突で成り立っており、何が通るためには何かを押しのけなければなりません。
進むということはそこにある物を遠くにおいやって、自分のスペースを確保するということでもあります。
場合によっては残酷なことにもなりますが、それを覚悟しなければ大成することはできない。
手塚治虫の「ブッダ」には地を這う蟻にも慈悲を示すアヒンサーという教えがありましたが、釈迦はもちろん熱心な仏教徒ですらない私達にそれは不可能。
歩くことも、働くことも、運動することも、商売することも、本質は同じです。
幾度も行うことで人はそれを学習し、周囲を押しのけてそれをより良く行うための環境を作ります。
例えば貴方がただ毎日図書館で同じ席に座っているだけでも、周囲の人々はそれを認識して席を空けてくれるようになるでしょう。
飽きるまで繰り返した行為は潜在意識に刷り込まれ、それをより効率的に行うための方法を閃かせるでしょう。
ただやることだけが、それを可能にします。
どんなに熱心に方法を考えたところで、実際に身体を動かさなければできるようにはなりません。
行動することでしか自分の道は拓けないのです。

しかしながら、何でも闇雲にやれば成功するというものでもありません。
というより、行動には抵抗が必ず伴うため、何も考えずに続けることは不可能です。
試しに、草木が生い茂った野原を歩いてみてください。
多分30分もしないうちに足が痛くなって、歩けなくなるので。
(自己責任でお願いします)
棘のある植物、突き出た木の枝、尖った石、地面の凹凸。
蚊、アブ、蜂、蛇といった危険生物。
ありとあらゆるリスクが潜んでいるので、普通の服装だと間違いなく怪我をします。
最悪スズメバチや毒蛇に襲われて死ぬ可能性すらあります。
人の通らない道は危険がいっぱいです。

長期的に見れば人の歩行には自然を破壊してそれらの危険を排除する効果がありますが、その前に傷付いたら目も当てられません。
だから安全な服装が必要不可欠になります。
長袖の服と帽子、何より丈夫な長靴(安全靴)を身に付けましょう。
童話「長靴をはいた猫」で猫が長靴を履いていたのは貴族の象徴だからだそうですが、実用性も抜群です。
脚の広い面積をカバーして、あらゆる植物や昆虫を寄せ付けません。
ニート賢者が木の枝が散乱している野山を歩けるのも、長靴によって防護されているからです。
道を作るには、実際に行うしかない。
商売を身に付けたければ、商売をするしかない。
トレードを身に付けたければ、トレードをするしかない。
しかし、それにはリスクが伴うため、何の備えもなければ高い確率で怪我をしてしまう。
それぞれの場において、私達は自分や資産を守るための防護策を講じなければなりません。
貴方は「長靴を履いた猫」にならなければいけないのです。

エセ賢者が草刈機を購入して除草を始めたように、多くの人はもっと良い道具やノウハウが手に入ったら行動しようと考えます。
しかし、それではなかなか始めることはできないし、始めたとしても他人の道具に依存してお金を使い続けることになります。
本当に道を作ろうと思うなら、方法は一つしかありません。
長靴を履いて、自分でそこを歩くことです。
きらびやかな物を求めて進んでも、たどり着いた先に望んだ成果が待っているとは限りません。
けれど、後ろを振り返れば、そこには必ず貴方の歩いた足跡が残っています。
たとえ結果が失敗に終わっても、そこを進んだ軌跡は決して失われることはない。
だから、無駄なことなんて一つもない。
何かを得るためではなく、ただ道を作るために歩けばいいのです。

<ふみふみ除草法(勝手に命名)のメリット・デメリット>
・特別な道具がいらない
・運動不足を解消できる
・第二の心臓と呼ばれる脚を動かすことで血流が良くなる
・脳が活性化して良いアイデアが浮かびやすくなる
・除草だけ考えると効率は良くない(食塩や除草剤の方が早い)
・蚊などの害虫に襲われやすい
・通報や職質に遭いやすい(やるなら私有地で)
⇒マネーゲーマーという生き方を始めてみる
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