自由の対義語は『他由』

やってみたかったんだよ・・・( ノД`)
仏教によると自由という言葉の由来は、「自に由る」(おのずからによる)、だそうです。
(他人ではなく)自分を理由にするという意味ですね。
福沢諭吉先生は英語のfreedomを翻訳する際に、ここから自由という言葉を引用したと言われています。
理由は自分。
原因は自分。
自らの意思や本性に従っている状態が自由。
動機は心の中から自然と湧き出すものです。
私がやりたいからやる。
私が食べたいから食べる。
私が眠りたいから寝る。
私が好きだからアタックしてみる。
日本語では主語が省略されがちですが、必ずそこには己の意思や欲望があります。
貴方が「やりたい」と思っていることが自由なのです。

自由の対義語を辞書で調べてみると、
・束縛
・窮屈
・統制
・制約
・責任
となっていますが、バラバラすぎますよね。
自分と他人という二元論で考えるなら、本当の対義語は他由だと思います。
『他由』とは、自分以外の誰かを理由にして行動すること。
他人からの強制・拘束・支配などを受けている状態は、自由ではありません。
現代は自由資本主義の時代です。
人類の歴史上、最も庶民の自由が保障された時代と言ってもいい。
しかし、人々が本当に自由に振る舞えているとは必ずしも言えません。
やりたいと思っても、やらせてもらえないことはあります。
経済上の理由でできないこともあります。
自分で選んでいるつもりで、実は誰かに操られていることもあります。
お金に洗脳されて、報酬がなければ動くことができない人もいます。

例えば、将来が心配で二千万円貯まるまで節約している若者は自由でしょうか?
自ら進んで貯蓄しているのだから、一見自由なようにも見えます。
けれど、彼の動機は不安。
社会保障制度の不備や将来の不確定要素といった、自分以外の要因に我慢を強いられています。
ニュースで流れる不正や犯罪に怒っている人はどうでしょうか?
親に怒られないために勉強する子供はどうでしょうか?
上司に認めてもらうために働くサラリーマンはどうでしょうか?
どれもやっぱり自分以外の何かに動かされています。
どこかの誰かが作った道徳や価値観に従って、決められたレールを歩いています。
誰もが自由と思いながら、その陰で他由に縛られているのではないでしょうか?
本当に自由に生きたいと願うなら、一つ一つの行動に対して理由を明らかにして、他由を減らしていかなければなりません。
宜しければ自分の日々の習慣を振り返って、それぞれの動機が自発的なものか考えてみてください。

ちなみに他人の都合以上に、私達が自由に生きることを何よりも妨害しているものがあります。
それは「みんなが平等である」という考え。
いわゆる民主主義です。
今回の話の肝になりますが、長くなるので後編に続きます。
⇒自由民主党という矛盾した名前