MMT理論の嘘 埋蔵金も打ち出の小槌もないんだよ

わざわざ伝えないといけないのか!?
前の話⇒現代貨幣理論(MMT)とは
<要約>
・お金は資源を分配するための道具である
・政府はお金を使って国民の資源を分配している
・通貨を発行しても労働力は増えない
・付加価値はお金ではなく、人間の労働によって生じる
・過剰な高齢者福祉を止め、少子化対策や新技術に分配すべき
最近の三橋経済学派や和製MMT信者の経済議論を見ていると、
「MMTは打ち出の小槌!
信用創造で財源を作り出して公共事業や社会保障を行おう!」
みたいな意見をよく見かけますが、エセ賢者は根本的に間違ってると感じます。
一般人ならともかく、曲がりなりにも経済学を学んだ学者までこんなトンチンカンなことを言っているのが悲しい。
財源がどうのこうのなんて、国家の仕組みからすればどうでもいいこと。
信用創造が価値を作り出すと信じている人々は、資源配分のシステムを理解していないのだと思います。
国家予算の役割は、資源の最適配分を決めること。
徴税や国債の発行は、そのための手段の一つに過ぎません。

資源とはお金のことではありません。
資源とは生産力。
労働力や資本、土地、領海など生産に寄与する物の総称です。
あなたの一日が24時間なら、その24時間が生産に寄与する資源です。
もしあなたが毎日8時間働いて給料の半分を税金として納めているとしたら、政府は4時間を徴収して国家事業に使っています。
対価の賃金は、あなたの時間を借りるための道具にすぎません。
三橋貴明やカリンゴンの言うように、信用創造を用いれば帳簿上のマネーは無限に増やすことができます。
百兆でも千兆でも、パソコンに数字を打ち込むだけで預金を作ることができます。
しかし、あくまでそれはただの数字に過ぎません。
何百兆円あっても腹は膨れない。
お金を受け取って仕事をしてくれる人がいないと、何の意味もないものです。
政府が徴税や国債の発行を行えば、そのお金で「国民の時間や財産」を借りることができます。
借りることができるのは、日本の失業者や残っている資材など。
日本の生産年齢人口が7千万人だとしたら、いくら高給を出してもそれ以上の人手は集まりません。
作物を育てる耕作地や、漁業をする海洋も限りがあります。
移民を入れたり、領土を広げたりすれば話は別ですが。

大規模に公共事業を行えば、人件費や資材費が高騰します。
ただでさえ人手不足の時期に行えば、従業員のいなくなった零細企業は倒産してしまうかもしれません。
お金は無限でも、リソースは有限です。
①童話の『うちでのこづち』:宝物や牛、馬や食物が出る
②政府通貨:民間から物を買う
政府は人も物も作れず、単に民間に寄生しているだけ。
だから価値を生み出さない国債財源は打ち出の小槌とは呼べないのです。
税制は「国家が国民からリソースを徴収する制度」なので、必ずしもお金を通じて行う必要はありません。
現代の税はその国の通貨によって納められていますが、物品や労役が税となっていた時期もありました。
労役、兵役→直接命令して奉仕者として使用する
公務員、自衛隊→給料(お金)を通じて奉仕者として使用する
政府は元々国民への命令権を持っているが、各人の適性や意思を確認して直接動員するのは非効率。
だからお金という報酬を提示して、各人の自由意思を確認した上で働かせているわけです。

新しい事業を始めようとすると、
「財源はなに?」
とお決まりの台詞を言う人がいますが、財源なんて話はそもそも無意味です。
お金は仕事をしないのだから。
お金が政策を実行してるわけじゃない。
国家の持つ「民間に命令する権利」がお金の形になっているだけ。
そういう意味では、「財源がないなら刷ればいいじゃん(新しく命令すればいいじゃん)」という考えもあながち間違いではない。
しかし、お金を刷ってもできないことはあります。
お金は無限でも資源は有限だからです。
仮に現在の国家予算と同額を新規発行して通貨発行益で公共事業を行ったとしても、国家の生産は倍にはなりません。
それをきっかけに元々働いていなかった人が働き出せばその分は増えますが、完全雇用で失業者がいなければ何も変わりません。
お金を撒いた分だけコンクリートや人件費が高騰して、特に深刻な人手不足が経済の発展を阻害するでしょう。

もちろん、国家が応援した産業は儲かります。
クールジャパンで100億円の援助を受けた吉本興業のように。
アベノミクスで大儲けした外資のように。
日本から支援を受けたアフリカ諸国も、日本人の金を使って発展するかもしれません。

けれど一方で、支援されなかった側は資源を奪われて衰退します。
安倍首相が特定の相手を支援するほど、他の日本人が貧しくなっていくのは明らか。
増税しながら財政出動を迫るのは、特定の相手だけえこひいきしているのと同じです。
政策とは、「何かを切り捨てて、他の何かを取ること」です。
特定の分野を優遇するなら、他の分野を冷遇することになります。
MMTがあろうが徳川の埋蔵金が見つかろうが、何も失わずに何かを得ることは不可能です。
「生産年齢人口7千万人の労働力をどう分配するか?」を決めるのが国会議員の役割とも言えます。
高齢者優遇を止めて少子化対策を行えば、人口を増やすことができるかもしれません。
不採算企業への補助金を打ち切って大学研究に投資すれば、新しい技術によって生産性が向上していくかもしれません。
生産性の向上を目指すなら、少子化対策と技術開発への投資を惜しんではいけません。
一方で高齢者の医療や介護にお金を使っても、社会の発展には寄与しません。
増税で若者が貧困化して結婚できなくなり、人口減少とともに将来の生産力が縮小していくことになります。

日本が衰退し続けている一番の原因は、国家予算の大部分を社会保障の名目で使っているからです。
子供を育てるための資源を高齢者に費やすと、少子化で国家は衰退していきます。
もちろん非生産的な事業や軍事費に使っても同じです。

大事なのは「お金を刷ること」でも「社会的道徳」でもなく、「成長に繋がる分野にリソースを集中すること」です。
もちろん金額と業績が比例するわけではありませんが、優先順位を間違えない限り成果は付いてきます。
はっきり言いますが、この国の資源分配は高齢者優遇になりすぎています。
120兆円分の資源を社会保障給付に回していたら、他の分野に資源を投資できません。
MMT派もリフレ派もGDPやデフレという実態のない数字だけ見て、少子高齢化という根本的な問題から目を反らしています。
消費税や社会保険料を根本から見直し、これから子供を育てる若者に資源を返しましょう。
次の話⇒アベノミクスやMMTの「社会主義政策」は経済成長をもたらさない

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