原因論を卒業して『目的論』で考える

理由にさえなってない!
細道で犬に出会ったら、権利を主張して咬みつかれるよりも、犬に道を譲った方が賢明だ。
たとえ犬を殺したとて、咬まれた傷は治らない。
エイブラハム・リンカーン
日本人はとにかく原因論が大好きで、問題が起きる度にその原因にばかり囚われている気がします。
豊かな人生を送るために大切なのは原因論ではなく目的論です。
過去の原因を考えるのはほどほどにして、未来の目的に焦点を当てるべきだと思います。
京アニが燃えた原因は放火犯ですが、彼が死刑になろうがキチガイ無罪になろうがそんなことはどうでもいい。
性犯罪の原因は痴漢ですが、彼等が更生しようがしまいがそんなことはどうでもいい。
そんなことを言うと、
「エセ賢者は犯罪者を擁護するクソ野郎だ!」
と言われるかもしれませんが、それでも敢えて言いたい。
原因論は無駄!
この宇宙の事象は無数の因果が絡み合って成立しており、単一の要因から問題が発生するわけではありません。
原因と考えられる大きな要因ほどコントロールするのが難しく、仮に制御できたとしてもまた別の要因によって問題が発生します。
例えば、エセトレーダーが雇用統計前にドル円を取引したとしましょう。
上昇を期待して買ったけれど、予想より雇用者数と失業率が悪くて急降下。
残念ながらロスカットになってしまった。
この場合、損失が出た原因はどれでしょうか?
・トランプの政策が悪いから
・雇用統計の数字が悪かったから
・ファンドが円買いドル売りをしたから
・チャートが動くから
・FXなどというギャンブルが存在するから
・エセ賢者が予想を外したから
これらは全て正しい。
こういう前提があってロスカットに至っただから、どれも間違いではありません。
しかし、正しいからといってそれが何になるのでしょうか?
何の役にも立たないじゃないか。
短慮な猫賢者を叱ることはできても、米国にいるトランプ大統領や海外のファンドはどうにもなりません。
雇用統計の発表を止めさせたり、為替取引を禁止にすることもできません。
百歩譲ってそれらを変えられたところで、結果が今より良くなる確証もありません。
結果はそれ以前の様々な事象の組み合わせで成り立っているので、解釈次第では過去に関わった全てを原因にすることができます。
激辛カレーを暴行事件の原因にして、「カレーを学校の給食から外す」という奇想天外な対策を取った人達もいます。

自分以外に原因を求めれば、他人に責任をなすりつけることができます。
他人のせいにすれば、自分は何も苦しまなくて済みます。
けれど、その先は何もありません。
トランプ大統領が退陣したって、ギャンブルトレードをすればまたロスカットになる。
放火犯に厳罰を与えたところで、警備がザルなら別の犯人に放火される。
フェミストがツイッターで男を批判したところで、隙があれば他の変質者に襲われる。
自分以外の要因はコントロールできない。
また同じように失敗して、誰かを加害者にして被害妄想を訴えるだけです。
原因を一つ二つ潰したって、結果が変わることはまずありません。
だいたい空いた場所に別の要因が入り込んで、同じようなことが起こります。
「原因がなければ問題は発生しなかった」
という誤った考えは捨てましょう。

原因論の対極にあるのが目的論です。
原因論は「過去の事象から今が作られている」と考えますが、目的論は「未来のゴールに到達するために今何が必要か」を考えます。
原因論→過去が現在を決定した。現在が未来を決めるので、自分では変えられない。
目的論→まず理想の未来を設定し、そのために何が必要か考える。未来は自分で選ぶ。
FXで勝つのが目的なら、勝てる手法を用意して資金管理を徹底する。
防災が目的なら、警備を強化して消火器と避難経路を見直す。
痴漢に遭わないが目的なら、満員電車を避けて防犯アラームを用意する。
みんな当たり前のことですね。
目的を達成するために必要なことを考えて、着実に実行するだけです。
目的論には過去の出来事や特定の誰かを非難するような話は出てきません。
暴行を防ぐためにカレーを禁止することもありません。
自分のコントロールできる範囲で、合理的に目標を達成できる手段を考えます。
当然自身の行動が必要になるので、
「どうして相手が悪いのに自分か何かしなきゃいけないの?」
と考える人もいますが、残念ながら原因論から至る他責思考に取りつかれています。

世に一見無料のサービスが氾濫してから勘違いする人が増えましたが、他人が自分の都合の良いように動いてくれることはありません。
(お金を払った場合や親兄弟の善意を除けば)
安心や安全はタダじゃない。
これらの身勝手な願望を実現するためには、あなたが自分でコストを払わなければならない。
人権という宗教的妄信が蔓延してから、この当然の摂理が理解されにくくなった気がします。
目的さえきちんと定まればそれを果たすのは難しくないことが大半ですが、人は概ね目的の設定を怠る傾向にあります。
自分で目的を決めないと、脳が勝手に感情を目的に設定します。
具体的に言うと気分が良くなることが目的になり、敵を排除したり見下すことでそれを果たそうとします。
問題の再発防止とかはそっちのけで、「みんなで悪者を殴っていい気分になること」が目的にすり替わります。
俺に損をさせたトランプを批判できればいい。
犯人が極刑になればいい。
男性を侮辱できればいい。
SNSでこういった発言をする人は感情が目的化し、本来の目的を見失っています。
殆どの人は問題を解決する能力がないのではなく、単に目標設定をサボっているだけです。
何かが良くない、不都合だ、変えたい。
そう思ったら、まず自分の目的をはっきりさせるところから始めましょう。
誰にどんな罰を与えたところで、他人と過去は変えられません。
「未来がどうなったら私は満足するのか?」
それだけに集中して、それを実現する最も合理的な方法を考えてください。
