エセリベラルに汚染された日本 本当のリベラリズムとは何か?

どっちを選ぶ?
最近の政治議論で「保守とリベラル」のような対立軸存在するような話を見かけますが、これは本質的におかしいと思います。
保守とリベラルは対極に位置する概念ではありません。
「猫好きの反対は肉球マニアだ!」と主張するぐらいおかしい。
正しい対義語は、
保守⇔革新
リベラル(自由主義)⇔パターナル(権威主義)
保守が寛容でないとは限らない。
リベラルが革新的とも限らない。
そもそも扱っているものがまるで違います。
保守・革新(右翼・左翼)というのは立場の問題でしかないので、政策や思想とは基本的に関係ありません。
正直どうでもいいことです。
日本にはリベラルを自称する政治家や評論家が沢山いますが、彼等が本当にリベラリズムを実践しているかというと疑問があります。
(特に表現の不自由展の津田大介氏とか)
なぜかというと、リベラルとは「特定の物事を推奨する」という考えではないからです。
では、リベラリズムとは何か?
各個人が理想の生き方を選ぶこと。
ただそれだけです。
あなたが好きな勉強をして、好きな仕事をして、好きな物を食べて、好きな人と結婚するのがリベラリズムです。
やけに小難しい言葉を使って歪めている人達もいますが、本来は「自由を守る」という極めて単純な理念に過ぎません。

なぜか日本では共産党や社民党までリベラルと呼ばれていますが、とんでもないこと。
共産主義や社会主義は明確にリベラルと矛盾します。
共産主義・社会主義は財産の私有を認めないので、経済的活動の自由に反します。
株式市場や国債市場に国家が介入するアベノミクスも、国民が生き残る企業を選ぶ自由に反します。
個人の自由を尊重すれば、政府の権限は確実に小さくなる。
政府の権限を大きくすれば、個人の自由は確実に小さくなる。
リベラルを実現するためには、政府の関与は最小限にしなければいけません。
もちろん治安と公正な競争を守るために最低限の介入は必要ですが、それ以外は民間に任せることになります。
残念ながら日本には大きな政府を望むパターナル政党ばかりで、小さな政府を目指す本当のリベラルは殆どいませんが。
リベラルを語るのであれば、厳しい規制を作ったり、重税を課してはいけません。
何らかの思想や道徳を強制してもいけません。
「皆が自分の意思で最善を選ぶ」と信じて見守らなければなりません。
それは一方で放任主義と捉えられるかもしれません。
決定権を委ねられたあなたは、無責任だと怒るかもしれません。
それでもなおあなたを信じて、自由に暮らせる社会を維持し続けるのがリベラルの役割です。
どうか世間の圧力に惑わされることなく、自身だけの最高な人生を追求してください。

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