受動的な思考 受動的な行動 99%の人は自分の意思で行動していない

プリティな子猫を見て、どう感じましたか?
かわいいよねー。
近くにいたら、撫で撫でしたい。
猫を飼いたくなって、ペットショップに向かってしまうかもしれません。
人によっては、
「うちの猫のほうが可愛い!」
とか、
「私は犬派なんだ!」
とか思うかもしれませんが、悪い気はしないはずです。
きっといい気分になって、動物に優しくすることでしょう。
次に、この写真を見てください。
よーし、スイッチオン!

「ひどい!!」
「この悪魔、人でなし!」
「悪趣味な真似をするな!」
「裁判で謝罪と賠償を請求する!」
と、口々にエセ賢者を責めるでしょう。
実際非道なことをしているのだから、当然です。
貴方は一枚目の写真で愛情を、二枚目の写真で憎しみを感じました。
そして、その感情に従って、行動を起こしました。
中にはアホな写真だと笑った方もいるでしょうが、それもまた、
エセ賢者の策略に嵌って、思惑通りの行動を取っていることになります。
これは、貴方自身で望んだことではありませんよね?
猫を愛でるのも、エセ賢者の非道を責めるのも、貴方が自分で
選んだ結果ではなく、反射的に行った行動のはずです。
私達は普段、自由意志で活動していると思っていますが、
実際のところは、外界に対する反射によって行動しているのです。
・持ち株の株価が上がれば、嬉しい
・ポジションを損切りすれば、悔しい
・好きな人から告白されたら、舞い上がる
・悪口を言われたら、不快な気分になる
全て受動的に、当然のように反応します。
抱くべき感情を抱き、それに相応しい行動を取ります。
以下のようなメールを受け取って、喜ぶ人はいませんよね?
☆追証のお知らせ
○○様
ドル円の下落により、お客様の口座維持率が、100%を下回りました。
不足証拠金が発生しましたので、本日10時までに、不足分58万円を
入金してください。
期限までに入金されなかった場合、ポジションは強制決済されます。
byねこねこFXトレード株式会社
これでガッツポーズを取れる人がいたら、完全なキチガイです。
きっと落胆して、泣く泣く入金するか、諦めてロスカットするでしょう。
絶望的な出来事に対して、相応の対応をしています。
つまり、貴方の感情も行動も、他人に操られているわけですね。
この世界に存在する人々の99%は、自分の意思で行動していません。
自分で考え、決定しているつもりでも、実際は周囲の状況に流され、
コントロールされています。
それどころか、殆どの人々は、自分が操られていることにすら、
気付いていません。
何をするにしても、自分で選択し、決定したことだと思っているのです。
・自分の好きな柄の服を買った
・興味のある仕事を選んで、就職した
・ドル円が上がると思って、適切なタイミングで買いを入れた
実際は貴方の興味を引く事象が現れ、巧みなセールストークと、
色鮮やかな広告で誘導しているのですが、それに気付く人は稀です。
貴方がチャンスと捉えた為替チャートは、実は貴方がエントリーして
くれるように、わざと作為的な動きをしたのかもしれませんね。
世界を構成する振り子は、とにかく貴方の注意を引き付け、思考を
支配しようとします。
本来誰の束縛も受けないはずの貴方は、あの手この手で感情を揺さぶられ、
正論をもって、選択の自由を剥奪されているのです。

いい加減、イヤになりませんか?
勝てば、喜ぶ。
負ければ、悲しむ。
それではいつまでも、勝ち続けなくてはなりません。
誰かの設置したレールから脱線しないように、ずっと気を張っていなくては
なりません。
一年後も、十年後も、失う恐怖に囚われて、辛い努力を続けるのですか?
自分の感情と行動を外界に委ねていたら、いつまで経っても、本当の幸福は
手に入らないのです。
貴方が永続的な平穏を手にしたいと思うなら、まずは自分の感情の持ち主に
ならなくてはいけません。
これを見て感じた感情は、元々貴方にあったものですか?

そうではないでしょう。
「電子レンジに動物を入れてはいけない、という注意書きがなかったから
猫を入れて乾かしてみた。
その結果死んでしまったから、メーカーに対して訴訟を起こした」
とかいう、ふざけた裁判の話を聞いて、不快なイメージを抱いていたはずです。
実はこれは都市伝説で、実際に猫を入れて訴えた人はいないそうです。
米国の極端な裁判事例に対する、一種の皮肉ですね。
善良な貴方は、作り話に乗せられて、ありもしない事件に憤慨したのです。
別に怒る必要も、同情する必要もなかったというのに。
写真を一瞥して、つまらないジョークだと、一蹴すればよかったのです。
それが不可能なら、眼をそらして、無視することもできました。
自身にとって、一番有益な選択肢を選ぶ権限が、貴方にはあったのです。
貴方の身の回りには、毎日沢山のイベントが発生します。
中には、辛いことや、悲しいこともあるでしょう。
けれど、それに対し、型にはまった感情を抱くことはないのです。
辛い出来事だから、苦しまなくてはいけない?
悲しい出来事だから、悲しまなくてはいけない?
そんなことは、決してありません。
一般的には辛いことでも、悲しいことでも、好きに感じて、
思いっきり喜んでいいのです。
だって、貴方の感情は、貴方のものなのですから。
外部からの刺激に対し、反射的に発生する感情は、制御することができません。
不快な出来事に対しては、一瞬だけ不快な気分になるでしょう。
しかし、そこから先は貴方の領域です。
泣くも笑うも、貴方次第なのです。
世界の暴虐に絶望し、頭を垂れるのも、反対にチャンスと捉え、
希望をもって行動するのも、貴方の自由です。
好きに選べるのなら、楽しいほうがいいですよね。
外界に左右されず、自分の感情と行動に、責任を持つこと。
それが、本当の人生を送るということなのです。

そうだ、いつものことじゃないか。
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