思考が変われば行動が変わるが、行動を変えても思考が変わる

お前は一体何者だ?
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
- マザー・テレサ
私達は行動を変えるには心(思考、信念、感性)を変える必要があると教えられ、そしてその通りに心を磨いてきました。
何か問題が発生すれば、「その人の心に問題があったから」と考え、教育機関や裁判所は考え方を変えるように促します。
それはある程度正しいことではあるのですが、現実的にはその通りにならないことも多々あります。
考え方を改善すれば問題が解決するかと言えばそうとは限らないし、潜在意識は簡単に変えられるものでもありません。
喫煙の害をいくら教えても、タバコを止められる人は少ないでしょう。
ダイエット成功例をいくら学んでも、実際に痩せるのは難しいでしょう。
成功者の自伝を何冊読んだとしても、貴方が起業できるわけじゃない。
幸福賢者などと名乗っても、エセ賢者はエセ賢者のままです。
多くの場合、私達は考え方を変えることで行動を変えてはいません。
むしろ逆に、行動を変えることで考え方を変えているのです。
元来人間には、「自身の行動を正当化する」という強い特徴があります。
それが客観的に正しいのかは関係なく、自分のしていることを正しいと信じ込む習性があるのです。
商売をしている人は、流通が改善することによって社会が豊かになると信じ込むでしょう。
新技術の開発をしている者は、それが社会の発展に繋がると信じ込むでしょう。
教師や講師は、自分の教え子達が次の世代を支えると信じ込むでしょう。
投資をしている人は、お金の流れが経済を循環させると信じ込むでしょう。
政治家と官僚は、政治がこの国を支えていると考えるでしょう。
テロリストだって、自分達の行動が資本家を打ち砕き、正義を示すと考えているはず。

誰だって、皆同じ。
自分の行為が一番正しいと信じたいのです。
それが本当に人類社会の為になっているかどうかはともかくとして。
人の行動は、自分の意志だけで決められるものとは限りません。
周囲の圧力や人間関係によって、望まない行動を取らされることもあるでしょう。
たとえ意に背く行為だとしてもそれを行えば、行った行為によって貴方の信念は変化します。
貴方が嫌いな会社の上司を見てみましょう。
貴方は平社員でいるうちは上層部の搾取は間違いだと思っていますが、貴方が出世して同じ行為を会社に強制されれば、それが経営のために必要なことなんだと納得することでしょう。
日本の増税と放漫財政が許せない人も、自分が政治家になれば一変するはず。
借金を抱えすぎた日本はこうするしかないんだと、妥協することになるでしょう。
親が勝手に決めた婚姻関係でも、夫婦生活を営んでいくうちに愛情が芽生えることは珍しくありません。
好きだから結婚するのではなく、結婚したから好きになっていくのが自然なのです。

人の脳は、精神と現実の矛盾した状態を許しません。
どんな行動であれ、それを継続すれば潜在意識によって正当化され、明日の貴方の信念に取って変わるのです。
エセ賢者が血に飢えた野獣に成り果てたのも、長年にわたる蛮行の結果でしょう。
積み重ねた悪行によって精神が汚染され、ついには肉体まで魔獣と成り果てたわけです。

信念と行動は、綱引きの両端のようなもの。
どちらも互いに惹かれ合い、強いほうに引きずられます。
信念を変えたければ、まず行動を変えることです。
いかなる教養を身に付けようと、行動がなくては変化は訪れません。
優しい人になりたければ、人に優しくしましょう。
強い人になりたければ、気丈に振舞いましょう。
今日の貴方の振る舞いが、明日の貴方を決めるのです。

行動とは、存在の規定に他ならない。
その一挙一動が、次の私達を形作っていく。