世界は自分である 自分は世界である

諦めなさい。
他人も自分も、本質的には同じものです。
何度理解してもすぐに忘れてしまうけれど、おそらく間違いない。
真理とは疑うまでもなく、本当だとわかるものなのだから。
この世界はきっと巨大な大樹のようなもので、無数に伸びた枝の、さらにそこに生えた若葉の一枚が私や貴方なのでしょう。
隣の葉と、貴方は必ずしも同一ではありません。
もしかしたら、色も形も全然違うかもしれません。
しかし、根っこの部分から見れば、同じ派生物であることに違いはありません。
人も獣も、
魚も昆虫も、
水や空気でさえ、
元はといえば貴方の一部です。
枝先に付いた微小な葉っぱとしての貴方ではなく、巨大な世界としての貴方のことですが。

人と人が争うのは、左手と右手がいがみ合うようなもの。
役割が違うからといって、一つの身体で諍いを起こして何になるというのか?
手と足で血液を奪い合うのも、農村で農業用水を奪い合うのも、本質的には同じこと。
みんなが自分だけを潤そうと必死になるけれど、どちらが勝ったところで、大局的には違いはありません。
リソースが一極集中したために、全体が枯れることはありますが。
己が世界であり、世界が己であることを知るのなら、そこに一切のネガティブなイメージは生まれません。
自分自身を恐れたり、憎んだり、嫉妬したりする必要はないからです。
どんな嫌いな人間も、彼が自分の一部であることを知れば、嫌う必要がないとわかるでしょう。
貴方の資産を奪った詐欺師も、同じ大樹の枝であると知るのなら、恨む気持ちは消えていくでしょう。
他人を罵倒する行為は、自分自身を卑下しているのと同じこと。
私達の世界に境界がないことを理解すれば、この世の問題は全て消えてなくなるのです。

多分、この話を聞いた貴方は、これが真実であるということを理解してくれるでしょう。
ちょっとぐらいは仲間と仲良くしようと思ってくれるでしょう。
でも、三日もすればすっかり忘れてしまって、またいがみ合いを始めるのだと思います。
人間は忘れっぽい生き物だから、仕方ないのです。
以前にもエセ賢者という輩に何度か同じ話をしていますが、一晩経ったら全て忘れていました。
最初は真摯に話を聞くのですが、何度教えても元に戻ってしまいます。
どんなに高尚なことを学んでも、結局は獣の本能に引きずられてしまう。
人間と言うのは、そういうものなのかもしれません。
まぁ、それでもいい。
忘れてしまったのなら、また読み返してくれればいいだけ。
何度忘れても構いませんから、たまには思い出してくださいね。
私達は元々同じ種から芽吹いた同志であり、
根っこの部分ではいつも繋がっていることを。

どうか貴方と世界が、今日も幸せでありますように。