罪も罰も効率が悪い
福山さんが万引きなんかするわけないよ!
犯罪を犯した人は刑法によって裁かれ、私達もそれを当然のように受け入れます。
罪には罰を。
犯罪者は刑務所に。
より罪の重い者は死刑にすべきだと、誰もかれもが言います。
しかし、それでいいのでしょうか?
人を犯罪者に仕立て上げて社会から追放すれば、それで世の中が良くなるのでしょうか?
エセ賢者はそうは思いません。
罰するより許すほうが、よっぽどマシな解決策であると思います。
別に、博愛精神からそう言っているわけではありません。
犯罪者の肩を持つわけでもありません。
単純に、人を罰するのは効率が悪いからです。
仮に過疎地の村に10人しかいないコミニティがあったとしましょう。
村人がほんの僅かですから、皆で仕事を分担して働いています。
そこで一人が工事中にミスをし、相棒を死なせてしまいました。
故意か事故かはわかりませんが、彼の過失で死人が出たわけです。
その場合の村人は一人減り、村の生産力は10%低下します。
そこで、残りの村人は裁判を開き、彼を処罰することにしました。
彼は必死に無実を訴えましたが、相棒を死なせた罪で処刑されてしまいました。
この場合の村人はさらに一人減り、村の生産力は20%低下しました。
おわかりでしょうか?
不幸な事故で一人亡くなったはずなのに、なぜか犠牲者が二人に増えています。
さらに裁判の間は他の仕事もできず、村人全員が余計な時間と労力を使うことになりました。
法と正義に基づいて裁判を行ったのに、結果として何も生まず、損失を拡大させるだけの結果になったのです。
もちろん、咎人を放置して、全て無視すればよかったかというと、それはわかりません。
もしかしたらさらに犠牲が増えて、結果的に三人以上の損害が出たかもしれません。
だとしたら、彼を処刑した裁判の判断は正しかったのでしょう。
けれど、もしも今回の事件がただの事故で、二度と同じことが起きないのだとすれば、裁判の結果はただ単に犠牲を増やしているだけと言えます。
沢山の時間と費用を使って、大切な仲間を殺害しているだけということになります。
いずれにしても、裁きは何もポジティブな結果をもたらしてはいません。
ただこれ以上の犠牲を出さないために、進んで最小限の犠牲を払っているだけのことです。
生活保護の不正受給を調査するだけでも、税金がかかります。
暴走族を留置場に入れるだけでも、経費がかかります。
裁判所、刑務所、弁護士など、ありとあらゆる面で私達は、沢山のコストを支払い続けています。
それが抑止力となって、結果的に社会全体の利益となるのなら、それでいい。
けれど、実態は何も知らない不運な人を罠にかけ、トカゲの尻尾のように切り捨てる結果になっていないでしょうか?
自然界には、裁判がありません。
親を殺されようが、身体を抉られようが、動物は復讐をしません。
あくまで自己防衛に徹し、自分の命を守るだけです。
食事以外の目的で他の生物を殺しても、何の得もないと知っているからです。
私達は何か問題があればそれを起こした者を吊るし上げ、責任を取らせようと躍起になります。
莫大な罰金や懲役刑を課して、なんとか懲らしめようとします。
貴方もニュースや新聞で犯罪の話を聞いて、心を痛めることはあるでしょう。
殺人犯や詐欺師に怒ったり、厳しい罰を与えるべきだと考えるときもあるでしょう。
しかし、それは本当に貴方の利益に繋がっているのでしょうか?
実は全く利害関係にない相手を貶めて、犠牲を増やしているだけなのではないでしょうか?
貴方は何のために怒りますか?
何のために人を処罰し、責任を取らせようとしますか?
誰かを蹴落とすことが、その他全員の利益になるわけではありません。
誰が裁かれたとしても、必ず悲しむ人がいます。
人に怒るのはやめましょう。
人を恨むのはやめましょう。
どんな大義があるにせよ、結局、刑罰は損失でしかないのです。
こんな過剰な罰則が必要なのかな?